多くの人を魅了するダイヤモンドには長い歴史があります。
今回はダイヤモンドの歴史についてお話ししたいと思います。
ダイヤモンドは宝石商で販売されるまで多くの過程が経て到達します。ダイヤモンドは地中深くの超高圧、超高温で生成され強い力で地表や地表近くに到達するまで押し上げられます。そこから自然や人の力により取り出され、カッティング・ポリッシュされて美しいダイヤモンドへとなりえます。
世界中から愛されるようになったダイヤモンドの歴史に始まりは、インドでした。
田舎の河川から採集され、その限られたダイヤモンドはインドの富裕層の為だけと、限られた市場で取引されていました。時を経てインドのダイヤモンドはヴェネツィアの中世の市場へ運ばれ、西ヨーロッパへとたどり着きます。
その後1400年代のヨーロッパでは、ダイヤモンドはエリート達がこぞって身につける、ファッショナブルなアクセサリーとなっていました。
特権階級の間で活躍し始める中、真珠やエメラルド、ルビー、サファイアなどがまだまだファッションの中心でありましたが、研磨方法が確立された頃にはダイヤモンドは美しいカットが施され、宝飾品としての価値を見出すようになって来ていました。
16世紀にはローズカット、17世紀にはブリオレットカットの施されたダイヤモンドが登場し始めています。
1700年頃、近年でもダイヤモンドといえばこのカットと言われる、ダイヤモンドのもつ輝きを最大限に引き出すカット、ラウンドブリリアントカットがベネチアのビンセント・ペルッチによって開発されました。
七色に輝く美しい光の反射、エレガントな曲線美どこを取ってもNO.1なカットによって、ダイヤは宝石の主役になったのです。
1700年初期、インドのダイヤモンドの供給が減少し始め、次の候補にブラジルが浮上しました。 金鉱夫が地元の川砂利をふるいにかけていた際、ダイヤモンドが発見された為です。その後、ブラジルは150年以上もダイヤモンドの市場を支配しました。
1800年代、西ヨーロッパと米国に裕福層が増加し、1800年代後半にダイヤモンドの需要が拡大した時期、探検家が南アフリカで初めて巨大なダイヤモンド鉱床を発掘しました。
1900年代初期までに、ダイヤモンド原石は世界生産の約90%をDe Beers(デビアス)に支配されました。
1866年に南アフリカのキンバリーでダイヤモンドが発見されました。
1888年にDe Beers Consolidated Mines Limited(デビアス合同鉱山株式会社)を起業家が設立しました。 デビアスはダイヤモンドを南アフリカの鉱山で採掘しました。
その発掘量は凄まじく、1900年にはダイヤモンド原石の世界生産量の約90パーセントにもなりました。
この南アフリカの産地の登場はダイヤモンドに関わる多くの産業に影響を与えました。 巨大なコストと低い産出量により、新しい需要が作り出されました。 カッティングやポリッシュの面での進歩に繋がり、それは効率、コスト削減、完成の外観も向上させる結果となりました。
1870年代のダイヤモンド原石の年間生産量は、百万カラットを下回っていました。
1920年代には、300万カラットとなりました。 50年後、年間生産高は5000万カラットとなり、1990年代には、年間1億カラットを突破しています。
1970年の終わりには、主なダイヤモンドの産出国は、南アフリカ、ザイール、旧ソビエト連邦となっていました。
1980年代には、ロシア、南アフリカからの高品質ダイヤモンドの産出はほぼ変わらず安定していましたが、ザイールで採れる低品質のダイヤモンドの産出は倍以上に増加しました。
1982年、ボツワナから多くの高品質なダイヤモンドが産出されました。
ボツワナは世界のダイヤ産出国で第3位、ダイヤモンドの価値では第2位に君臨します。
デビアスは、鉱山から産出したダイヤモンドを全て購入するとボツワナ政府と契約しました。
ここまでは、ダイヤモンドの市場は全てデビアスが握っていたと言っても過言ではありません。
ですが、1985年オーストラリアの産出源の発見と2000年のカナダ北部での新鉱床の発見により世界のダイヤモンド採掘は大きく変化し拡大していきます。
世界経済が激しく変動していることも後押しとなり、1990年以降はダイヤモンドの市場は大きく変化しました。
新しい原産地の増加とともにカッティングセンターの成長が見られました。
ダイヤモンドはデビアスを通さないと手に入らなかった状態から、今では複数のチャネルから入ってくるようになっています。
とは言うものの、すべてが変化したわけではありません。
現在でもダイヤモンドは鉱山からカッティングセンターを通って、初めて市場へと出回り顧客へと小売されます。
昔も今も、人々を魅了するダイヤモンドは永遠の輝きと言えるかもしれません。
ダイヤモンドの語源とあれこれ
ダイヤモンドは古代ヨーロッパのローマで鉄鋼を含めた硬いものを表現するアダマス(Adamas)と呼ばれていました。
このアマダスが変形しDiamasからDiamantになり、ダイヤモンドと呼ばれるようになります。
アマダスとはギリシャ語で征服し得ない力を意味します。
ダイヤモンドは炭素(C)の同素体の1つで、天然の物質の中では地球上で最も硬い物質です。
日本語では金剛石(こんごうせき)とも言われます。
仏典の中の金剛不壊から由来しているとも言われています。
ダイヤモンドは電気しません。この理由は結晶の原子に不対電子が存在しないためです。
現在のダイヤモンド
ダイヤモンドの魅力は何世紀にも渡り高い価値が認められているものの、20世紀より前はダイヤモンドについての科学的知見はありませんでしたが、科学者、物理学者、地質学者、鉱物学者、海洋学者達の研究により、ダイヤモンドがどのように形成され地表に運ばれて来るのかが分かるようになりました。
それによりダイヤモンドの産地の予測が出来るようになり、現在では多くのダイヤモンドが産出されるようになりました。
20世紀になるとダイヤモンドを人工的に作るれるようになりました。
それまでもダイヤモンドを模した模造ダイヤモンドはありましたが、そうではなく天然のダイヤモンドと組織が同じ本物のダイヤモンドを人工的に作れるようになったのです。
成功した当初は極小粒のものしか出来ず、天然のダイヤモンドよりもコストがかかってしまっていましたが、現在では天然のダイヤモンドよりも安価で安定した品質の人口ダイヤモンドを製造出来るようになりました。
製造された人口ダイヤモンドは全て工業用ダイヤモンドに回され、工業用ダイヤモンドのシェアの半分近くは人口ダイヤモンドが占めています。
では、人口ダイヤモンドは天然ダイヤモンドとして、市場に出回ることはないのでしょうか?
現在の技術では宝飾用として充分に耐えられる大きさのダイヤモンドも製造出来ますが、このような大きなダイヤモンドを製造するにはまだまだ高額な費用がかかり、同じグレードの天然ダイヤモンドよりもコストがかかります。
その上製造にはかなりの設備が必要となることから人工ダイヤモンドを天然ダイヤモンドとして販売されるような詐欺は現在は無いはずです。
将来技術が進み手軽に人造ダイヤモンドが製造出来るようになれば、また新たなダイヤモンドの歴史が生まれそうです…。